越前和紙とは

越前和紙


写真:大滝神社(岡太神社)

越前は、千五百年の歴史と伝統を誇る和紙のふるさとです。越前和紙の名が大きく歴史に登場するのは室町時代のこと。もともと武士が主人の命令を家臣に伝えるための文書を奉書といいますが、これに使用するのに最もふさわしい上質の紙として広く知られるようになりました。同時に、この時代貴族が好んで使った「越前鳥の子紙」の素晴らしいできばえが評判となり、それ以降、公家・武士階級の公用紙として、全国に越前和紙の名を広めたのでした。また時の権力社の保護政策も徹底しておこなわれました。にせ紙を防ぐために、織田信長は「七宝の印」、豊臣秀吉は「桐の紋の印」徳川幕府は「桐七宝の印」「御上天下一」の印を製品に押す特権を与えています。

江戸時代には、福井藩で日本初の藩札に利用されました。さらに、明治新政府が発行したはじめての紙幣「太政官金札」も越前和紙によって作られました。現在の紙幣にも使われている「黒すかし」の技法は越前和紙職人たちによって完成したものです。太平洋戦争中には大蔵省印刷局抄紙工場が越前に建てられ、当時の百円・千円紙幣を漉いていたこともあります。このように永い歴史の流れのなかで、越前和紙はその独自の技法と品質により、確かな地位を築いてきたのです。

紙祖神伝説


写真:大滝神社(岡太神社)

第26代継体天皇が、皇子として越前におられた頃(およそ1500年前のこと)岡本川の上流に美しい姫が現れて、「この里は、清らかな水に恵まれている。この水で紙を漉いて生活をしていくがよい」と、その技を教え、姿を消しました。それ以来、里人たちはこの姫を”川上御前”と呼び、岡本神社にまつるようになりました。この全国にも例のない紙祖神伝説は、いまもここ越前に残ります。


川上御前